50代の趣味

第1回 オペラ、今この人に聞く!テノール歌手 前川健生さん

2020年1月、新作オペラ「紅天女」にて藤原照房を、2020年2月には、日本オペラ界の名門「二期会」が上演する「椿姫」で大役アルフレードを歌う前川健生さん。今年(2019年)10月にはピアニストの奥様とご結婚。大舞台での大役と美女を射止めて公私共に乗りに乗っている前川さんにインタビューしてきました。

父は声明の指導者、祖父はCDも発売する般若心経の達人

Q オペラ歌手になろうと思ったきっかけは何ですか?

前川(以下敬称略)「実は、気がついたら目指していた、という感じなんです。実家が寺院で、小さいころから声を出すのは好きでしたね。」

お父さまは声明の専門家で指導者、お祖父さまは般若心経のCDも出している達人だそう。
(※声明:しょうみょう:仏教の法会儀式で僧侶が唱える声楽)

前川「Amazonで般若心経を引くと祖父のCDが出てきます(笑)父や祖父のロングトーンに憧れて負けじと声を出していました。」

Q ではオペラに目覚めたのはどのようなきっかけですか?

前川「国立音大に入って、当時はドイツ歌曲が好きで勉強していました。大学3年の時にお世話になった先生がオペラの素晴らしい音源をたくさんくれて、それを聴いて『オペラって何と情熱的で熱狂的なんだろう!と。ロックなんかよりずっと凄いな』と思ったんです。」

でも当時は、オペラはお金を払って観に行くものだと思っていた、という前川さん。初めて観たオペラは大学一年の時にに東京文化会館で観た『カルメン』。『椿姫』も観ていたそうですが、自分がアルフレードを歌うとは思ってもみなかったとか。

前川「本格的にオペラを歌いたいと思ったのは25才の時です。初めて現役のプロオペラ歌手である先生に師事して、自分が積み重ねてきたものがわかるようになってきました。それで自分もどこかでオペラを歌いたいなと。オペラ歌手になりたいという気持ちが強くなっていきました。」

歌とお経とピアノと尺八?!父とのアバンギャルドな舞台

Q ご家族はオペラ歌手になることに反対しませんでしたか?

前川「僕は次男なんです。父は寛容で、『やりたいことをやれ』という感じでした。寺を継げと言われたことはないですね。今は兄が継いでいるので継ぐ寺がないです(笑)。」

芸大で美術を専攻して成績優秀だったというお兄さま。公演のチラシ作りやファンサイトのデザインをしてくれるそうです。

前川「叔父が若いころからクラシックファンで、父もそこからこぼれてくる音楽を聴いていました。父もクラシックは好きだったみたいですね。演奏家の名前も良く知っていました。」

お父さまは鶴見での音楽祭の公演にも出演されたとか。その公演が前川さんご自身の団体「遊 音楽企画」を立ち上げるきっかけにもなったそう。

前川「声明をやる父とオペラ歌手の息子の共演ということでお話を頂いたのですが、僕は親子で舞台は恥ずかしくて嫌で、父はもっと嫌で(笑)尺八とお経、尺八と歌とピアノのセッション企画をやりました。父は声明の弟子たち8人と舞台に上がって。なかなかアバンギャルドな音楽になりましたよ、500席が満席で大成功でした。」

いつも傍らにあるモーツァルト

Q ご自身が観て、これをやりたいなと思った公演はありますか?

前川「大学2年の時にモーツァルトの生誕250周年の記念式典でやった大学院オペラ『イドメネオ』(モーツァルト)にコーラスで出ていたのですが、それが衝撃的に楽しかった!タイトルロール役は与儀巧さん。最高に格好良かったんです。男子はみんな与儀さんのフレーズを練習していたり(笑)。僕もあんな風に歌いたいな、こんな風にできたら良いなと思いました。」

前川「実はモーツァルトが大好きで、イドメネオはいつかやってみたいですね。様式がしっかりとある作品で、その様式美、スタイル感が僕は好きなんです。いつもモーツァルトは傍らに置いて、常に勉強しています。」

Q 練習は毎日されているのでしょうか?

前川「はい、でも週一で必ず歌わない日を作っています。決して僕は喉が強いほうではなくて、ケアは大事。その他の日は、朝早く起きて9時頃から生徒のレッスンや自分の練習をして、レッスンに出かけることもあるし、稽古やリハーサル、オーディション、コンクール、舞台などで、気が付けば毎日歌ってしまいます。歌わない日は予定表にも×をつけています。」

Q 公演は夜が多いですが、朝型で辛くないですか?

前川「辛くないですね、元気なんで(笑)朝からレッスンを入れていると言うと珍しがられるんですが、僕は朝が好きなんです。朝頑張って歌ったら、午後が丸々空くのでハッピー。買い物に行ったり、家で映画を見たりもできますし。」

趣味は料理、妻と一緒に毎日作っています

Q 料理がご趣味だそうですが、奥様にも振舞われることはありますか?

前川「振舞うというか、だいたい二人で毎日作っています。彼女が健康的なものを作って、僕が不健康なものを作る(笑)。」

中学生時代、料理漫画にはまって誕生日にお母さまから中華鍋をプレゼントしてもらったという前川さん。以来その中華鍋を使ってずっと調理しているそうです。

Q 得意料理は何でしょう?

前川「僕は飲食でのバイトも長かったし、何でも作りますよ。ステーキに中華、イタリアンでもバイトしたことがあるんです。でも得意料理と言われたらやっぱり中華かな、困った時には麻婆豆腐をよく作ります。」

自分のやりたい音楽がこうだと思ったら、それを信じてやれば良い

Q オペラ歌手なる今日までの道のりで、何か転機になった出来事はありますか?

前川「出会った先生方みんな恩師なんですが、最初に人生を変えてくれたのが大学3年の時に受講した音楽学の中村初穂先生です、もうお亡くなりになりましたが。
当時、歌を頑張りすぎて喉に結節ができ、声が出なくなってしまいました。2年の最後はほぼ最下位の酷い成績で、僕は意気消沈の3年生だったんです。」

ひげもじゃでいかつい顔つき、杖を突いてパジャマのような私服で教室に入ってきたという中村先生は、ガンッと勢いよくドアを開けて入ってきて、怒っているような態度で出席を取り始めたそう。そしてピアノに向かい、楽譜なしでマーラーをガンガン弾いてぶっきらぼうに解説を始めました。他の学生は引いていたけれど、前川さんはその姿がカッコイイと先生のファンになり、ついて歩いたと言います。

前川「『ウェルディとワーグナーは良いけど○○○○は聴く価値ないです』とか、有名な音楽家も作曲家も平気でけなす先生でした、今考えたらめちゃくちゃですね(笑)僕はそれまでは受け身でカリキュラムを受講するだけでしたが、自分からもっと教えてくれと先生の元へ出向き、音楽に対して能動的に動けるようになりましたね。大学に入って初めて親しくなった先生で、門下生の仲間に入れてもらって飲みに行ったりしました。」

前川「『君はジーリが好きなのか、だったらジーリのように歌えば良いじゃないか』(※ベニャミーノ・ジーリは20世紀前半に活躍したイタリアの名テノール歌手)中村先生にある時そう言われて、その一言で目の前がパッと開けたんです。ジーリの歌い方はもう古いかもしれない、今の聴衆には受け入れられないかもしれない、だけど、自分のやりたい音楽がこうだと思ったら、それを信じてやれば良いんだ!と、気づきました。それまで色々難しく考えすぎて凝り固まっていた心を解き放ってくれた言葉でした。」

それから前川さんは、中村先生にベルカントにふさわしい指導ができる先生を紹介してもらい、『愛の妙薬』(ドニゼッティ)のアリア『なんと彼女は美しい』から勉強を始めました。そして改めてオペラというものに興味を持ち始めたということです。(※ベルカントとは「美しい歌」「美しくさえずる」という意味でイタリアオペラにおける歌唱法の一つ)

生の舞台は真剣勝負、オペラは料理に似ている

Q では、前川さんにとってオペラの魅力って何ですか?

前川「デジタルを一切介すことのない生の生きた音楽とドラマ、それがオペラの魅力ですね。生は一回こっきりですから、僕たちにとっては一回一回が真剣勝負です。」

映画館で気軽にオペラを楽しめる時代にはなったけれど、生の舞台の魅力はまた格別。前川さんは、生のオペラは料理に似ていると言います。なるほど、TVや映像でどんなに美味しそうに見えても、実際に口に入れた感動を超えることは出来ません。一流レストランのシェフや板前にとっては、一皿一皿がお客さまとの真剣勝負です。

前川「オペラは視覚、聴覚、触覚の三感を司ると思っているんです。音の振動は感覚として触覚に近いと。ミュージカルはマイクを使いますが、オペラは、歌手、指揮者、オーケストラ全て、僕たちとお客さまの間にデジタルは存在しません。三感を高レベルで満たすことができるのはオペラしかないと思っています。チケットを買って、公演当日わくわくしながら劇場へ出向くところから始まって、その魅力と得られる感動には計り知れないものがあります。」

理想のテナーはA.クラウス、共演者に愛される樋口先輩が目標

Q 今後の目標としてる歌手はいますか?

前川「今、僕の中でいちばん目標となっている理想の歌手はアルフレード・クラウスです。スタイリッシュで品格があって絶対ぶれない。この人、失敗したことあるのかな?!ってぐらい。70代になってもその歌唱スタイルを維持して歌い続けました。」
(※アルフレード・クラウスは20世紀後半を代表するテノール歌手。パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスと並んで四大テナーと称されることもあった)

前川「もう一人、二期会の先輩でテノールの樋口達哉さんも目標にしている歌手の一人です。相手役のソプラノの方が、皆、樋口さんに助けられた、樋口さんで良かったと言うんですよ、共演者が歌いやすくなるんですね、こんな方はなかなかいません。彼は共演者に愛されるんです。」

前川さんは樋口さんのカバーキャスト(控えの歌手)を4回務めたことがあるそうで、舞台裏で観ている間に見えてきたことがあると言います。

前川「前に出て圧倒的に歌うんだけど、ちゃんとソプラノのために一歩引く余裕もある。こうあってこそテノールだなと。こうあれたらいいなと思うんですけど、僕に一番欠けているところですね、出しゃばりなんで(笑)
そして本番は絶対に決めます。二期会で主役を張り続けるには理由があるんですよね。」

ちょっと恥ずかしい、本人にこんなことを言うと気持ち悪がられるかも、と言っていた前川さんですが、バッチリ掲載させていただきます。

前川「ずっと背中を見てきました。樋口さんは憧れの先輩ですね。(テレ)」

歌手として常にチャレンジしていたい

Q 今後レパートリーとして歌っていきたい役柄は何ですか?

前川「オペラは、モーツァルト作品の主役をプロフェッショナルの舞台で歌いたいと思っています。モーツァルトはまだリサイタルやハイライトでしか歌ったことがないので。『イドメネオ』はやりたいですね。僕はベルカントオペラが一番得意なんです。ベッリーニ、ドニゼッティ、モーツァルトは歌っていきたい。
ヴェルディ作品では『リゴレット』のデューク(マントヴァ公)、『椿姫』のアルフレードも今こそ歌いたい役の一つです。
それと、ドイツ歌曲はオペラと同じくらい好きなので、年に一回は連作で歌っています。シューベルトの『冬の旅』を近年中に歌いたいと思っています。」

前川さんは歌手としての活動の他に、ご自身の団体「遊 音楽企画」で企画した公演もされています。2019年4月には渋谷区伝承ホールでランメルモールのルチアを全幕上演、今後も一年に1回か2回は自身の企画で舞台を作りたいと言います。

前川「限られた予算の中で大変でしたが、僕はこういうことを企画してやるのが好きみたいです。実は鶴見の公演は僕がリスクを背負っていて、赤字が出たら僕が赤字でした。それで、『自分が責任を負っていたら、好きなことをして良いんだ』と気づいた。若手でこれからという歌手、もっと舞台に上がる機会が欲しいと思っている才能ある歌手、現場でこの人と一緒にやりたいと思った人と、時間をかけてでも良いから『イイ場』を作りたい。良いメンバーが揃えば良いものができると思ってまして、人と箱と日時が揃えば、定期的に舞台を作っていきたいですね。」

Q 今後の活動や目標について教えて下さい

前川「まずは歌手として、自分の団体以外でも必ず歌っていたいと思っています。常にオーディションに参加して、常にチャレンジしていたい。それと並行して、自分のやりたいメンバーでやりたい音楽を作る場というものを持っていますし続けたいですね。いつも企画書を書いていて。そういう活動は常にやっていきます。」

今回のインタビュアーである私が前川さんを知ったのは、奏楽会のオペレッタ『こうもり』。脳天気なアルフレード役を明るく素直な声でのびやかに歌い、その素晴らしい歌唱は今も心に残っています。バイタリティに溢れ、明るく礼儀正しい前川さん、今後もご活躍を楽しみにしています。

前川さんが語る「オペラ『椿姫』の魅力」はこちら。

前川健生プロフィール
愛知県出身。東京学芸大学大学院修了。ソレイユ声楽コンクール第一位、東京音楽コンクール入選。東京二期会『ダナエの愛』でデビュー後、『ばらの騎士』テノール歌手、『アルチーナ』オロンテ、『ジャンニ・スキッキ』リヌッチョ等出演。また『魔笛』タミーノ、『トスカ』カヴァラドッシ、『蝶々夫人』ピンカートン、『ノルマ』ポッリオーネ、『エロディアード』ジャンのカヴァーキャストを務める。2020年2月東京二期会『椿姫』アルフレード、7月『ルル』アルヴァで出演予定。二期会会員

リンク先
二期会 http://www.nikikai.net/index1.html
遊 音楽企画 http://maekawakensho.com/yu/
奏楽会のオペレッタ『こうもり』 https://www.sogakukai.com/過去の公演/サロン-オペラ-こうもり/

オペラ『椿姫』の魅力」はこちら

ABOUT ME
中野由紀子
中野由紀子
オペラ鑑賞歴約30年。何よりもオペラを愛してやまないアラフィフ・オペラオタク。日本大学芸術学部文芸学科卒。会社員・ゲームシナリオライターを経て、現在はエイジングケアブランド「SECOND SEASON」をプロデュースするなど美容家としても活躍。2015〜2017ミスユニバース・ジャパン ビューティーキャンプ講師/2018年ミス・ユニバース香川大会審査員/「映画の中のヘアメイク」講師/著書『首美人革命』