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オペラ『椿姫』の魅力~テノール歌手・前川健生インタビュー

お薦めオペラ100選 その1【椿姫】ヴェルディ

2020年2月の二期会公演でアルフレードを歌う前川健生(テノール)さんに、『椿姫』の魅力について聞いてきました。

原作は週刊文春?!

Q『椿姫』は世界中で最も多く上演される人気演目の一つです。これほどまでに愛される理由は何でしょう?

前川「こんな内容をオペラでやるなんて、ということで初演は大失敗だったという逸話があります。それまでの時代のオペラには、決まった様式、スタイルがありました。『椿姫』はそれまでにはない、生々しい生きた女性が描かれた作品だと思うんです。」

前川「原作は作者デュマと愛人だったクルティザーヌ(※高級娼婦)、ヴィオレッタとの実話ですが、でもこれってようは当時の社交界の暴露本で、現代で言えば週刊文春の内容だと思うんです。ヴィオレッタは生きた人間であり、『椿姫』は生きたドラマだと思うんですね。それが愛される理由なんじゃないかと。」

前川「音楽的には『オテロ』も『トロヴァトーレ』も『リゴレット』も素晴らしい、じゃあどうしてこんなに『椿姫』が愛されているのかといえば、ヴィオレッタというのがとてつもない役で、魅力的であるという他にないんじゃないかと。

ヴィオレッタは『バタフライ(※蝶々夫人)』などと同様、一幕から三幕までの精神的な変化や成長が大きい役です。強くて誇り高くて、悲劇なんだけれど力強い女性。生で観て心が震えないなんてことがあったら、どうしてなんだ?!と思ちゃいます。」

百年経っても二百年経っても愛されるオペラ

Qイギリス王室にも黒人の血を引くバツイチ女性が嫁ぐ時代、身分違いという理由での悲恋は観客の心に受け入れられるでしょうか?

前川「家柄や身分でということは、現代ではないかも知れないですけれど、でもこの作品で大事なのはそこではないと思うんですよ。別れがあるのは世の常で、いつの世でも何かの要因によって別れなければならないということはあります。男女のことだけでじゃなく、自分の気持ちを押し隠して身を引く、というようなことは、もしかして誰しも経験することがあるんじゃないかなと思うんです。」

前川「二幕の別れの手紙のシーンで、ヴィオレッタが書いている途中でアルフレードがやってきたときに、『私を愛してアルフレード、私があなたを愛しているように!』とヴィオレッタが泣きながら歌う。『だけど私は本当はこうだったんだ!』と叫ぶ、愛している誰かのために身を引くときに沸き起こった気持ちが、あのシーンで噴き出るような気がするんです。あの非常に劇的な音楽を聴いたとき、僕は心が震えるんです。」

前川「三幕で『私は死にたくない!』とヴィオレッタが生の言葉を発するのを聴いたとき、オペラではこんな強烈な言葉を言うんだ、と衝撃だったんですね。人間らしくて生々しい、武骨だけど美しい人間がそこに描かれていて、百年経っても二百年経ってもヴィオレッタは愛される役だと思うし、愛されなくなったら人間が終わってるんじゃないかと。」

ラ・トラヴィアータ-道を踏み外した女―

Q『椿姫』の原作のタイトルは『椿を持つ女』という意味の『La Dame aux camélias』ですが、ヴェルディはオペラに『道を踏み外した女』という意味の『La Traviata』というタイトルをつけました。どういう意味があるのでしょうか?

前川「クルティザーヌという言葉を高級娼婦と訳すのもちょっと違うかなと思うんですが、『高級娼婦だから道を踏み外している』と思いがちなんですが、そうではないんですね。」

前川「これは演出家の先生の聞きかじりなんですが、原作のモデルとなったマリー・デュプレシスは商人の娘さんで不遇な少女時代を過ごしました。売られるような形でパリに来て、とにかく自分の身を守らなければということでその世界に入って、知性と気品のある女性だったので、たちまちパリの社交界の花形として人気のクルティザーヌになりました。クルティザーヌは恋をしてはいけない仕事です、恋愛契約をするわけなので。」

前川「それまで本当の恋愛を知らずに生きてきたヴィオレッタが、結核で命が長くないところで初めて恋をしてしまった。オペラはそこから始まります。『恋をしてしまったことでクルティザーヌとして道を外れてしまった。』それが『La Traviata』『道を踏み外した女』なんです。」

相手は誰でも良かったのかも知れない

Qヴィオレッタが道を踏み外して恋したアルフレード。前川さんの考えるアルフレードはどんな青年ですか?ヴィオレッタは彼のどこに惹かれたのでしょう?

前川「アルフレードは田舎の貴族青年で、社交界でのステータスはそう高くありません。僕はそういう青年を好きになるヴィオレッタがまた素敵だなと思うんですが、彼は詩を詠むくらいのことはできるけど、生きるためにはお金がいるってこともわかってない子供でボンボンです。例えば、確定申告って何?みたいな(笑)」

前川「彼女は金もステータスもあるイイ男は散々見てきたはずです。それまでも、彼女を本気で好きになっていい寄ってくる男はいたと思うけど、心の琴線に触れることはなかった。ただ、なぜアルフレードだったのかというと、死が近づいているということも関係があったのかなと、タイミングがベストだっということはあるかなと思うんです。実は相手は誰でも良かった説、認めたくないけどあり得る。

ただヴィオレッタにとって、彼が誠実だったということが極めて重要なポイントだったと思っています。」

Q二人の仲を引き裂くアルフレードの父、ジェルモンの立場についてはどう考えますか?

前川「ジェルモンは滅茶苦茶ですよ(笑)。ヴィオレッタに息子との別れを迫っておいて、彼女の手紙を読んで悲しむ息子に『可哀そうに。故郷は良いぞ、帰ってこい。』と言う、可哀そうにってオマエだろ!みたいな(笑)。」

前川「この話の悪役は一般的にドフォール男爵だと思うんです。花形クルティザーヌを傍に置くというのは当時のステータスで、彼はそのためにヴィオレッタを利用しているに過ぎません。爵位は一番下なのに偉そうにしているから、相当な金持ちだと思います。当時のことを考えると恐らく爵位も金で買えたんじゃないかと。」

前川「でも実はジェルモンもドゥフォールも当時としては普通で当たり前のことやっているだけなんです。例えばジェルモンの行動は子を思う気持ちからのこと。自分の子を守るためなら赤の他人を傷つけても良いというのは全世界どこでもよくあることです。

むしろ、ここまでヴィオレッタが葛藤し続けるということの方が変わっていたのかも知れない。それを観ていわゆる旧体制側、社交界に片足突っ込んでた人たちがどう思ったかということですよね、批判されているわけだから。憶測でしか語れない部分はあるけど、だから初演当時反発があったんだと思うんです。初演が失敗して、今の人たちにヴィオレッタが受け入れられているいうのは、そういうことじゃないかと思います。」

アルフレードはシンパシーを感じる役

Q今回オーディションで見事アルフレード役を射止められましたが、評価のポイントは何だったのでしょう。

前川「アルフレードは性格的な面でもシンパシーを感じるところがありまして、歌っている中でも無理をしている感じはありませんでした。声楽的にも演技の面でもナチュラルにできる。ちょうどいいタイミングでチャンスがめぐってきたなと。」

前川「二期会では毎回ほぼすべての演目でオーディションを開いています。必ず声を聴く機会をくれているので、『今僕は全力で歌えばここまでできる』というアピールはしなければならないと思っていて。オーディションには二回に一度は顔を出していました、また来やがったと思われてるかもしれません(笑)ずっとあと一歩だったんです。三年間でカバーキャストを6回やり後輩や同期のカバーもやりました。

『これはきっと何か僕に足りないものを勉強させてくれている機会だ、僕には決定的に何か足りないものがあるんだ』

と思って、僕に足りないのは特に芝居でした。今回合格できたのは、これだけカバーキャストをやっで研鑽を積ませてもらった経験が生きたと思っています。」

自分の肉体と精神を介してヴェルディの音楽を

Qアルフレードを歌う上で気を付けていることはありますか?

前川「ドラマティックな要素もあるのですがやはり様式がある音楽で、そしてあくまでベルカント。そのスタイルの中で歌わなくてはならないと思っていて。自分の音楽も出していきたいけどそれ以上に、自分の肉体と精神を介してヴェルディの音楽をやりたい。そこがいちばんの課題でもあります。舞台の上でアルフレードでありたいしヴェルディの音楽でありたい、芝居の面でも音楽の面でも、作品の一部でありたいというのは願っているところです。」

クラウスの歌唱、アラーニャの芝居

Qお手本としているアルフレードは誰ですか?

前川「やっぱりアルフレード・クラウスですね。スタイル、声、歌唱は他の追随を許さないと思います。ただやっぱりロベルト・アラーニャには憧れます、芝居でいったら断然アラーニャですね。ちょっとだけクラウスは冷たいように見えるところがありまして、音楽的にも。賢そうですしね、そんなバカじゃないだろうって風に見える。

その点アラーニャはダメンズを演ったら最高ですよね、ちょっとナヨっとしてるというか、ちゃんとしろよって言いたくなる感じはアラーニャ凄いと思いますね。
僕も頼りないという点では信頼があるんでそこは頑張れると思います(笑)」

(※アルフレード・クラウス:20世紀後半を代表するテノール歌手。スタイリッシュな格調高い歌唱で聴衆を魅了した)

(※ロベルト・アラーニャ:現代を代表するスターテナーの一人。情熱的で情感溢れる歌唱で多くのファンを持つ)

ヴィオレッタの思いを知りながら、知らずに歌う難しさ

Q『椿姫』の中で好きなシーンはどこでしょう?

前川「アルフレードのシーンも好きなところはたくさんあるんですが、やっぱり心が動くのは二幕一場の手紙のシーンですね。まず二重唱が好きです、ジェルモンとヴィオレッタの。

そのあと、『私を愛してアルフレード、私があなたを愛しているように!』と歌う時のヴィオレッタの悲痛な思いは計り知れないですし、僕が演ることはないので、ソプラノの方はどんな思いで演じているんだろうと。

それなのに僕は、『彼女は僕のことがこんなに好きなんだ!』とかって呑気に歌わなきゃいけないんですよ、バカだなーと思いながら自分は冷めてるのにそう歌わなきゃいけない。」

Qではアルフレードをやる上でいちばん難しいのは手紙のシーンですか?

前川「僕、前川はヴィオレッタの悲痛さも知っていて、一緒に泣きたくなっちゃうんですが堪えなきゃいけない。アルフレードの僕はヴィオレッタの悲しさを知っちゃいけない、だからいつも葛藤があります。難しいですね、そこで脳天気にいなきゃいけないから。みんなに、あいつバカだなーと思われなきゃいけないのも辛いですしね(笑)」

前川「二幕二場もケンカが苦手なので、難しいかな。札束を投げるシーンも、感情にまかせていっちゃいそうで。演出家さんがどう作りたいのかがあると思うんですが、ついつい怒りにまかせて叫びたくなっちゃうのを、そこはヴェルディのスタイルを守らなくちゃいけないと思って。クールでありながら熱いドラマを作りたいと思っています。」

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椿姫 

2020年2月の二期会公演では、宝塚歌劇団所属の若き演出家、原田諒氏が演出を手掛けます。華やかな宝塚の舞台の伝統の引き継ぐ原田氏がどのような舞台を作り上げてくれるのか楽しみです。

指揮はオペラ・アワード2016において最優秀若手指揮者にも輝き、欧州で今最も注目される若手指揮者ジャコモ・サグリパンティ氏。今回初来日を果たすということでこちらも期待が高まります。

ABOUT ME
中野由紀子
中野由紀子
オペラ鑑賞歴約30年。何よりもオペラを愛してやまないアラフィフ・オペラオタク。日本大学芸術学部文芸学科卒。会社員・ゲームシナリオライターを経て、現在はエイジングケアブランド「SECOND SEASON」をプロデュースするなど美容家としても活躍。2015〜2017ミスユニバース・ジャパン ビューティーキャンプ講師/2018年ミス・ユニバース香川大会審査員/「映画の中のヘアメイク」講師/著書『首美人革命』